V1号・V2号

 第2次世界大戦中のドイツの爆撃機。V1・V2共に1937年に完成したペーネミュンデ・ロケット研究所にて開発された。V1は同研究所の西側で空軍が、V2は東側で陸軍が開発した。VはVergeltungswaffe(報復武器)の略である。
 V1号の当初の呼び名はFi-103(メーカー名のフィーゼラーに由来)または「航空機対抗装置76」またはFZG76と呼ばれ、コード名「キルシュケルン(チェリー・ストーン)」として開発された。犠牲者のイギリス人からは「空飛ぶ爆弾」「ブンブン爆弾」「ドードルバグ」と呼ばれて有名になった。この操縦士不要のジェット機は全長7.9m、鋼板と合板で作られ850kgの強力爆弾を搭載していた。圧縮空気で酸化した1591リットルのガソリンを使用し、平均時速563km、約209kmの範囲に20~25分で達した後エンジンが切られ、不気味な沈黙の後12秒後に爆発した、と目撃者が証言している。
 最初の10発のV1ロケットは1944年6月13日イギリスに向けて発射された。そのうちの5発がワッテンにあった発射現場近くに落ち、1発は英仏海峡に落下、イギリスに到達したのは4発だった。1発だけがロンドンの目標地点に達し、ベスナル・グリーンのグレーブ・ロードで6人が死亡した。第2の攻撃は6月15~16日の夜に実行され前回よりも成果を残した。224発のミサイルが発射され、そのうち73発がロンドンに達し11人が死亡。翌月から8000発以上が発射されたが多くはコースからそれて爆発した。ロンドンに向けて連発されたもののうち、おおかたは待ち伏せた阻塞気球と対空砲火の嵐によって撃墜され、特に戦闘機からのロケット翼の変形工作が成功して、目標からそらせることができた。しかしV1の攻撃により23000人以上の死者が出た。
 V1に続いて開発されたV2号は、遙かに大きな破壊力を持っていた。当時まだ20代だったウェルナー・フォン・ブラウン(1912~1977、後のアメリカ宇宙計画の指導者)の指揮下で開発され、V1よりも一層正確かつ強力なものとなった。開発チームの中ではA-4と呼ばれていた。AはAggregate(総合)の略で、Aシリーズの4番目のものがV2として実用化された。
 1944年9月より7ヶ月間、ドイツ各地からロンドンまたはオランダのアントウェルペンへ向け1359発を発射、そのうち1090発が命中した。全長14m、25400kgの推力を発揮し、1トンの爆弾を搭載し、最大高度362kmに達することができ、時速5794kmの高速で発射地点からロンドンまでの約300kmをわずか3~4分で到達、当時の対空砲火や戦闘機からの攻撃では太刀打ちできなかった。この技術は後の巡航ミサイルやICBM(大陸間弾道弾)のもととなった。
 さらにフォン・ブラウンの研究グループはA-4(V2)の開発と並行して大型2段ロケットA-9、A-10の計画を始めていた。もしこれが実現すれば射程距離5000km以上、アメリカ本土を攻撃することが可能だったといわれている。また原子爆弾の開発が成功すればそれを搭載して攻撃することが計画されていた。
 フォン・ブラウンら118名のV2研究者たちは戦後アメリカへ渡った。V2の技術はアメリカや旧ソ連で利用され、核爆弾ミサイルの開発に大きく貢献した。


2004.02.19 作成

投稿者: たろう

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