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印鑑の歴史は洋の東西を問わず非常に古い。知られている世界最古の印鑑は紀元前3000年ごろの古代メソポタミアで封印用に用いられたものである。古代オリエントでは材質やデザインの非常に凝ったものが多く、一種の工芸品でもあった。古代ローマでは貨幣と同様、肖像を彫ったものが用いられた。ローマ帝国崩壊以降、一般人による印章の使用は一時途絶えたが、7世紀後半に教皇の印が用いられ、メロヴィング朝の諸侯たちも印章を用いたことが知られている。中世の中ごろより、個人や公的機関が権威や身分を表すものとして一般化した。
東洋での印章の起源は定かではないが、中国・周王朝時代にはその存在が確認されている。春秋戦国時代にはかなり普及していたといわれている。紀元前221年に中国統一を果たした新の始皇帝は「受命于天/既寿永昌」と刻まれた四寸角の「璽」と呼ばれる皇帝専用の印を作らせ、漢王朝以降の各王朝にも主権継承の印として秦璽が受け継がれていったが、政変のたびに行方不明となり、その都度偽者が出回るようになり、結局唐王朝の滅亡と共に廃れてしまった。
日本には中国より印鑑が伝来したが、その最古のものは1784(天明4)年に筑前国志賀(現在の北九州)の南に位置する叶の崎で甚兵衛という百姓が発見した「漢委奴国王」と刻まれた金印で、『後漢書』東夷伝倭人の記述により紀元57年に漢の光武帝より奴の国王が授かったことで以前より知られていた印であることが分かっている。その後も日本で印章が用いられ続けたが、10世紀半ばからは花押という略式のサインが使用されるようになった。これは書判(かきはん)とも呼ばれる自分独自の様式化した文字のことである。中世は日本史の中でも際立って花押が用いられた時代である。戦国武将の島津義久の手紙には、本来は花押を押すべきところだが、病気のためやむを得ず押印で済ませる、という断り書きがあるそうである。
再び日本で印鑑が力を持ちだしたのは明治時代のことである。1873(明治6)年の太政官布告32号で証書などに花押を用いることが禁じ、実印の使用を定めたことによりサイン文化が廃れ、以後日本は印鑑社会となる。現在でも公式な文書でサインが用いられているのは閣議の文書ぐらいである。
ちなみに今日の世界の国の多くには印鑑を押す習慣がなく、代わりにサインが用いられている。印鑑が用いられているのは日本や韓国などの一部の国だけである。
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