0195.徳川吉宗の大奥改革
 徳川将軍8代目・徳川吉宗は、当時傾きかけていた幕府の財政を立て直すため、質素倹約を奨励した「享保の改革」と呼ばれる改革を行ない、その改革はそれまで聖域とされていた分野にまで及んだ。その一つが、当時1000人もの女性たちがおり、莫大な費用がかかっていた大奥の改革である。
 ある日、吉宗は大奥の年寄を呼んで指示した「大奥から美女50名を選び出し、書面にて差し出すように」との指示を出した。この指示に、大奥は大騒ぎとなった。美女の名簿作りの年寄にのもとには、もし自分の一族から将軍の側室が出ることとなれば出世の機会もありうるということから、自薦他薦が殺到した。娘が名簿に載った家では、一族が集まりお祭り騒ぎになったところもあった。吉宗の側近として享保の改革を補佐した儒学者の室鳩巣も『兼山秘策』の中で「前に祝いなど致し候由、たしか成る事にて候」と、その様子を記している。
 ようやく名簿が出来上がり、年寄りが吉宗にそれを提出すると、吉宗はそれに目も通さず「この者たちは美女ぞろいだから、故郷へ帰っても縁談があることだろうから、さっそく暇をつかわすように。醜女は縁遠いだろうから、残すがよかろう」と言った。
 醜いからクビにするといわれたら大奥からの反発を招いたかもしれないが、美人だからクビにするといわれれば文句のいいようもない。このようにして大奥のリストラは行なわれたのである。

作成 2006.09.04/更新 2006.09.04
歴史
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