0204 自転車 雑学
2007.04.22作成/2007.04.22更新

 世界で初めて自転車の原型を考案した人物には諸説ある。1人目はレオナルド・ダ・ヴィンチ。1965年に発見された『マドリッド遺稿』と呼ばれる、ダ・ヴィンチの手稿の裏側に描かれていた自転車のスケッチ。後の調査でこれは1860年代に描かれた落書きであると結論付けられている。2人目はフランスのド・シブラック伯爵が1790年に発明した「セレリフェール」という説。しかし、シブラック伯爵が架空の人物であり、設計図やスケッチ、現物がないため、この説も受け入れられていない。
 現在もっとも有力な説は、ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が1817年に作成した「ドライジーネ」。車輪も含めすべて木で作られており、ペダルはなく、地面を足でけって進んでいたが、時速15kmを出すことができ、それまで陸上での移動手段のほとんどが徒歩であったことを考えると、この発明は画期的だったといえる。
 1839年には、イギリス・コートヒルの鍛冶屋カークパトリック・マクミランが後輪にクランクを付け、クランクにつながる部分に、足を前後させて駆動させるタイプの自転車を発明。ただし彼は、この自転車をもっぱら自身の移動用に使用していたため、一般に広まることはなかった。
 初の量産型自転車が生産されるようになったのは、1860年にパリの馬車製造業者ピエール・ミショーである。ある日、ドライジーネ型自転車の修理の依頼を受けた彼は、修理後、当時19歳だった息子のエルネストに試運転してもらった。試運転から帰ってきたエルネストは「バランスはうまく取れるけど、地面をけるたびに足を持ち上げたままでいるのは、足が疲れる」と言った。父のピエールは、それなら前輪に足の置き場を作り、いっそのことその置き場を使って前輪を回してみたらどうか、と思いつき作成した。これがペダル型自転車の始まりである。当時の日本は江戸時代末期。日本に初めて自転車が入ってきたのもこのころであり、やはりミショー型自転車であった。この時代、日本でもミショー型を模して自転車が製造されたが、各地で同時発生的に製造されたために誰が日本で初めて自転車を製造したか、はっきりしたことは分かっていない。後の東芝の基礎を築いた田中久重も1868(明治元)年に自転車を製造したという記録が残っている。
 1870年代になると、ペダルを1回転させる時に、より長い距離を出すにはペダルのついている前輪を大きくすればいいということになり、自転車の前輪はだんだんと大きく、後輪はだんだんと小さくなっていった。このタイプの自転車をオーディナリ型といい、日本ではその形から「だるま」というあだ名も付けられた。ただ、その優美なデザインが現在でもアンティーク自転車の象徴として用いられる一方、前輪が大きくなるにつれ、乗車時や運転時の不安定さなどの問題も表れていった。
 1879年、イギリスのローソンが現在のようなチェーンによるギア伝達の後輪駆動式自転車「ローソン3号」を考案。このタイプはセーフティー型と呼ばれるようになり、同時に自転車の速度向上にもつながった。このタイプの流れをくんだ、ジョン・ケンプ・スターレーが、現在一般的に見られる自転車の原型となった「ローバー安全型自転車」を1885年に販売すると、世界中に広まっていった。また、1888年にスコットランドの獣医ジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを発明。自転車の車輪にも採用され、乗り心地が格段に向上した。
 日本では、まだ自転車が現在のベンツ並みに高価だった時代の1876(明治9)年に東京の上野に貸自転車屋が開業。1銭5厘で当時の上野広小路を一回りできた。明治時代中期には国産自転車も量産されるように。1892(明治25)年には、郵便局で行っていた電報の配達に自転車を使用することが正式に決定された。


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