0400 札幌圏+北海道一周 2006年夏&秋
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0405:札幌駅前通の突き当たり
■たろう 2007.02.01 23:43
 札幌駅前通を札幌駅南口から南に進んだ突き当たりに中島公園があります。ちょうど駅前通の真下が地下鉄の路線になっており、さっぽろ駅-大通駅-すすきの駅-中島公園駅と、札幌都心部の有名どころを横断している形になっています。
 とりあえず今回は前座ということで、中島公園に建つ豊平館(ほうへいかん)の写真を一枚。詳しい話は次回投稿以降ということで。
豊平館

安心しますね
ごま 2007.02.02 00:45
 いい洋館ですね。こういうのは三重県周辺にあるのかな。見るたび新鮮なんですよ。詳しい話、楽しみにしています。

三重県の洋館、検索してみました
■たろう 2007.02.02 01:45
 三重県の洋館で代表的なものといえば、ジョサイア・コンドル氏が設計した、桑名市にある「六華園」でしょうか。1913(大正2)年、桑名の実業家・諸戸清六氏の邸宅として建てられたものだとか。
 ちなみに彼は鎌倉にも邸宅を所有していました。1908(明治41)年に福島浪蔵氏邸宅として建てられ、1921(大正10)年に諸戸氏の所有になったとか。こちらは現在「鎌倉子ども会館」(内部非公開)として使用されています。
 実は例の鎌倉小旅行のときに諸戸邸の写真も撮ってきました。せっかくなので一枚投稿させていただきます。
旧諸戸清六邸(神奈川県鎌倉市)

中島公園の歴史
■たろう 2007.02.05 00:52
 中島公園の由来は、明治初期、この地に居を構えた実業家の中島氏が自宅の庭園を開放したことに始まる。ちなみに中島氏の末裔は、アニメ「サザエさん」でも有名な磯野カツオの同級生・中島君で、同じくクラスメイトには、父親が不動産屋を経営している花沢さんもいる…なんて書きたいんですが、もちろんウソです。
 本当は、もともとここは、豊平川上流で切り出された木材の貯木場(現在の菖蒲池)があったところ。公園となったのは1887(明治20)年ごろで、地域住民の要望に基づき整備された。「中島」の名の由来は、現在公園脇を流れる鴨々川にまとめられている2つの川の「中の島」だったことから来ています。
 かつてはスケートリンクや野球場・食堂、さらに古くは競馬場が存在していた時期もあったそうで。札幌テレビ塔ができるまではNHK札幌放送局もあったとか。何度か博覧会の会場になったこともあり、一時期ほんの数年間だけだけど、雪まつりの会場になったこともあります。
 現在は先述の豊平館やコンサートホール「Kitara」、体育センターに天文台、北海道近代文学館などがあります。
 ということで、今回は中島公園内で撮影した写真を4枚ほど。この時は豊平館目当てで行ったので、次回以降はそちらの方の話が中心になるかと。
豊平館・バルコニー カモもいます 1958(昭和33)年・北海道大博覧会記念『森の歌』 『のびゆく子等』の像

おやすみです!
■ごま 2007.02.07 01:17
 雪まつり、はじまりましたね。でも、作るのに苦労したそうで。
 近くの洋館、桑名だったら本当に近いです。行ってみようかな。諸戸さんはどこの生まれなんでしょうね。
 花沢公園の続き、楽しみにしています。

大通公園時代の豊平館
■たろう 2007.02.09 03:07
 さて、現在中島公園の敷地内に建つ豊平館ですが、本来は北海道開拓使が1881(明治13)年11月に現在の札幌市民会館(テレビ塔の近く)に建てた、北海道初の西洋式ホテル。ちなみに明治・大正・昭和の3人の天皇も宿泊されたという記録も残されています。
 しかし、ホテルとしての利用は低調で、1927(昭和2)年には札幌市の公会堂として使用されるように。戦時中は北部軍の飛行第一師団司令部として利用され、戦後はアメリカ軍の宿舎として接収。翌年、三越札幌店が接収されると同時に同店の店舗として使用されたこともあったようです。1947(昭和22)年10月に札幌市に返還。以後札幌市中央公民館(のちに札幌市民会館に改称)として利用されました。1957(昭和32)年、中島公園への移築のために解体。跡地には新しい市民会館が建設された。
 …ということで続きはまた次回。今回の写真は内部の写真を2枚ほどと、後の大正天皇が皇太子時代の1911(明治44)年に宿泊されたときに座った椅子を1枚。
豊平館2階・紫の間 豊平館2階・梅の間 1911(明治44)年に大正天皇が行幸された時に座られた椅子

ほうへい
■ごま 2007.02.11 01:58
 歴史がありますねえ。愚問ですが、「移築」っていうと建て直しですか。部品を使うことはできても建物ごと移動はできませんよね。
 大正天皇の椅子、背もたれの丸いやつが背骨にあたりそうです。

中島公園時代の豊平館
■たろう 2007.02.12 01:52
 移築にもいろいろな方法がありまして、元の場所で使われていたものを解体し、その部材の全部または一部を移築先で組み立てなおす方法、または解体時に細かい図面を作成し、同じ素材を使って建て直す方法など、建物によりさまざまです。
 大通時代の豊平館の場合、現在の建物裏側に市民会館用の施設が増築されていましたが、1958(昭和33)年に中島公園に移築された際、その部分は復元されませんでした。また、移築後は主に市営の結婚式場やレストラン、喫茶店などとして利用されることとなったため、内部は改築されているようです。
 大正天皇の椅子、背もたれの菊の紋章が背骨にあたり痛そうですが、実は背中のツボを刺激するという効果が…あれば面白いんですけどね。おそらく刺繍かなにかでしょう。
 中島公園編ラストは結婚式場に使われている大広間の写真を2枚。次回からは少しずつ郊外の方へ移動します。
豊平館2階・大広間1 豊平館2階・大広間2

とよへいかん
■ごま 2007.02.15 01:18
 豊平館は「ほうへいかん」「とよひらかん」…どっち?って、考えていましたが、今検索しましたら、「ほうへいかん」でしたね。
 重要文化財唯一の結婚式場ですね。

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