0070.軍医・森鴎外
Hoshiyan様 からの投稿雑学
 小説「舞姫」や「雁」などの作品で有名な明治の文豪森鴎外。
 鴎外は文豪という顔の他に駄目医師という面もあった。1904(明治37)年から1906(明治39)年まで日露戦争に軍医部長として従事し、1907(明治40)年には陸軍医総監・陸軍省医務局長に就いている。
 当時、軍事衛生の問題であった脚気ついて細菌による感染症との説を主張し、海軍軍医総監の脚気の原因がある種の栄養素欠乏のためと主張する高木兼寛と意見が対立した。海軍では高木の指示で兵士に麦飯を支給していたため海軍ではほとんど脚気患者は発生しなかったが、鴎外は自説に固執し、日露戦争でも兵士に麦飯を支給させなかったため、陸軍では25万人もの脚気患者を出し、3万名近い兵士が脚気のため命を失った。
 「敵国ロシアの誰よりも多くの日本兵を殺した者」との評価がある。
 その後、陸軍大臣寺内正毅が鴎外と協議することなく、陸軍でも麦飯の支給を開始している。
 1910(明治43)年に鈴木梅太郎が脚気の特効薬であるオリザニン(ビタミンB1)を発見し、オリザニンの脚気に対する効果が証明されても、自説である細菌説を曲げなかった。
 また、細菌学に没頭すると、潔癖症になってしまい、どんな食物も加熱しないと食べなかったという。
 そのくせ、極端な風呂嫌いでもあったという。
 まあ、かなりの変人である。


たろうの補足
脚気は、西欧諸国では見られずアジア諸国でのみ存在する病気であったため、当時は風土病と考えられていた。日本軍の内部で脚気が広がり問題となったとき、高木は西洋のパン食(麦が原料)と日本の米食という主食の違いに着目し、脚気の解決法を発見することができた。
脚気の原因がまだ不明だった江戸時代には、麦飯・粟飯を主食としていた地方の人が江戸に出て白米を主食とするようになると発病することが多かったため「江戸やまい」と呼ばれていた。また、記録によると徳川将軍家光(3代)・家定(13代)・家茂(14代)も脚気が原因で死亡している。
ちなみに日露戦争の10年前に勃発した日清戦争における日本陸軍の死者数は、戦死293名に対して病死3944名だった。死因のほとんどが脚気によるものだった。このときも鴎外は陸軍の軍医部長として従事していた。

投稿日 2007.07.22
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