0079.赤塚不二夫
dorafun2112様 からの投稿雑学
 赤塚不二夫先生について。
 2008(平成20)年8月2日に亡くなってしまい大変残念です。私はとっても好きでした。ご冥福お祈りします。
 居候の頃。タモリさんが有名になったきっかけは赤塚先生に出会ったからというのは有名な話。ある日赤塚先生の友人が「福岡におもしろい奴がいるんだ~」と言って、タモリさんと赤塚先生が出会ったのです。その後赤塚先生はいきなりタモリさんにこう言いました。「お前、テレビに出ろ」と言われタモリさんはTVに出演。その後どんどん売れていったのです。
 しかし、最初は…タモリさんは赤塚先生の家で、赤塚先生は仕事場のロッカーを横にして寝てたんですよ。タモリさんにはそのことを言わずに。かっこいいですよね。さりげなくっていうのが。だから先生の作品を好きになれたのかもしれません。普段馬鹿やってるけど他人には優しいっていうのが。ちなみにタモリさんと所ジョージさん赤塚先生のベンツを乗り回してたそうですよ。
 赤塚先生といえばトキワ荘ですね。ということで…逆に仕事中(藤子・F・不二雄先生と一緒にしてた頃)、なんか打ち合って遊んでたら藤子・F・不二雄先生に怒られたそうです。でもスイカ割りとかして仲が良かったんじゃないかな?
 詳しく知りたい方は『赤塚不二夫でいいのだ!! 』という本を買うことをおススメします。

たろうの補足
赤塚不二夫(1935.9.14-2008.8.2)は満州で生まれ、戦後は奈良県大和郡山市→新潟県新潟市と移り住み、18歳のときに上京。1956(昭和31)年『嵐をこえて(曙出版)』で漫画家デビューした。
トキワ荘時代、石森章太郎と「いずみあすか」「U・マイア」の合作ペンネームで(「U・マイア」は本来、石森と水野英子の合作ペンネーム)作品を発表したこともある。また当時、赤塚はトキワ荘一の美青年といわれていた。
赤塚本人の一番のお気に入りキャラクターは「バカボンのパパ」で、その理由は「どんなに酔っ払っていてもバカボンのパパだけは、ちゃんと描けるから」。

投稿日 2008.08.03
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