ひとくち雑学

千手観音の手は実際には全部で42。2つの手で合掌しており残りの40の手で人々を救っている。1つの手で25人の人を救い、40の手が合計で1000人を救っているので「千手観音」と呼ばれている。

[04] 時間が止まってしまった街? 夕張駅3代の足跡をたどる

 夕張駅前から、夕張の市街地を歩いてみます。市の中心を流れる志幌加別川(しほろかべつがわ)に沿ったルートです。

 早速、駅がある小高い丘を下りてみます。そこで、ふと疑問に思いました。

 写真の丘を登ったところが、現在の夕張駅のある場所です。

 夕張駅の駅舎が移動して、現在の場所までやってきた、ということは知っていました。では以前はどこにあったのだろう? と疑問に思い、スマホで調べてみました。

Wikipediaより抜粋
  • 以前は石炭の運び出しの便を図るため、市の奥地である、夕張市福住の現在の石炭の歴史村付近に駅があった
  • 1985年に、市の中心部夕張市本町4丁目の夕張市役所及び夕張市民会館裏の夕張鉄道旧夕張本町駅構内跡地に移転した

 ざっくりまとめると「石炭の歴史村付近」→「市民会館裏(旧夕張本町駅)」→「現在地」の順に移動しています。

 では実際に、以前夕張駅があったところを探してみましょう。

3代目夕張駅から初代夕張駅まで歩きます

 はじめに、現在の夕張駅舎(3代目)から、初代駅舎のあった場所まで移動してみます。

 夕張市の中心部を、端から端まで歩くことになるので、夕張の街並みを楽しみながら歩くこともできます。

2017.11.12

 写真の左が夕張市民会館で、右が夕張市役所です。

 市民会館は1963年10月に開館し、1971年までは夕張鉄道・夕張本町駅の機能を果たしていました。

 夕張本町駅が廃止となった後も、長く市民会館として利用されていましたが、現在の耐震基準に適さなくなったことと老朽化のため、2015年に閉館となりました。

 塀の壁の上にだけペンキが塗ってあるのですが、なぜなんでしょう? 謎です。

 市役所を通り過ぎると、街の中心部になります。しかし、ほとんど人を見かけません。

2017.11.12

 市街地に架かる「さかえ橋」です。谷間を志幌加別川が流れます。

2017.11.12

 横から見たさかえ橋です。深いところを川が流れ、谷間に夕張市の中心部があることが、よく分かります。

 石炭産業を支える住民たちが住むには、あまりにも平らな土地がないため、急斜面に街をつくらざるを得なかったと考えられます。

 さて、中心部を通り抜け、もう少し歩くと、初代夕張駅の跡地にたどり着きます。

初代夕張駅(1892年-1985年)

 初代夕張駅の構内は、現在の石炭の歴史村の駐車場部分でした。

 駐車場の広さからも分かる通り、この場所にあった初代夕張駅は、石炭積み出しのためのターミナル駅で、これぐらいの広大な土地が必要だったことが読み取れます。

2017.11.12

 脇の、小高くなった場所にある夕張神社から、駐車場(初代夕張駅跡地)を撮影しました。駅構内が広かったということがよく分かります。

 では、今歩いてきた道を折り返して、2代目夕張駅の跡地に向かいます。

2代目夕張駅(1985年-1990年)

 初代の跡地に向かう途中で立ち寄った、旧夕張市民会館の裏に、2代目夕張駅がありました。

 先ほども書きましたが、もともとは夕張鉄道・夕張本町駅だったところで、その跡地に2代目夕張駅を移したという形になります。

 そして3代目の現駅舎まで戻ります。

3代目夕張駅(1985年-2019年廃止)

 3代目となる、現在の夕張駅まで戻ってきました。

 石炭産業の発展と衰退とともに歩んできた夕張駅も、2019年3月に新夕張-夕張間が廃止となるため、今度は夕張駅自体が127年間の歴史に幕を下ろします。

この1年後、3代目夕張駅から2代目夕張駅まで歩いた様子をYouTubeにアップしていますので、ぜひご覧ください

2017.11.12

投稿者プロフィール

たろう
元学習塾講師。
雑学と街歩きについての記事を、主に書いています。
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