2017年11月 時間が止まってしまった街? 夕張まで乗り鉄旅行 (2)

列車は追分駅を発車しさらに夕張方向へ進みます。

2017.11.12 撮影
東追分駅が廃止(正確には信号所に格下げ)になり追分駅が隣の駅になっていましました。そのため駅名表のとなりの駅の表示部分もあとで訂正したのがよく分かるように「おいわけ」の部分だけ他の部分より新しくなっています。



ツイートでアップした写真が分かりやすいかなと思います。

停車時間が長かったので川端駅のホームに降りてみると、ホームの柵の向こうにこんなオブジェを見つけました。

2017.11.12 撮影
明らかにダムの模型です。あとで検索して出てきた写真と比較してみた限り近くを流れる夕張川にある川端ダムの模型のようです。


列車は新夕張駅から夕張支線に入り夕張駅へと向かいます。この新夕張駅から石勝線は新得・帯広方面へ伸びていますが、本来は現在の夕張支線である区間がメインの区間で新夕張から新得までの間は1981年10月に開通しました。千歳空港駅(現・南千歳駅)と追分駅の間もこの時に開通しています。「新夕張駅」の名前はこの石勝線開通時につけられたものでそれまでの駅名は「紅葉山駅」でした。


列車は清水沢駅に到着しました。駅舎からホームまでなぜか距離がありますが、これは現在空き地になっている部分にかつて三菱石炭鉱業大夕張鉄道線のホームがあった名残です。この鉄道路線は三菱大夕張炭鉱から採れた石炭を輸送することはもちろんこと夕張岳から伐採された木材の輸送も行なっていました。それらの資材や旅客を国鉄夕張線と接続させるため1947年1月に乗り入れが始まり1987年1月に廃止されるまで利用されていました。かつて線路があった場所なので当然それをまたぐように跨線橋があり廃止後もしばらくは存在していましたが、2005年ごろまでにはそれも廃止となり現在はツイートの写真のような地上通路が設けられています。


2017.11.12 撮影
列車はさらに進みついに終点の夕張駅に到着しました。

夕張駅は夕張線の終着駅としてまた夕張の石炭輸送の一大拠点として1892年に開業しました。エネルギー革命により炭鉱が閉山となった後に2度駅舎の位置が変更になっています。このことについて別な記事にで書きます。


2017.11.20 作成