ひとくち雑学

CDの穴の直径は15mm。これは指輪の7号と同じサイズ。

【札幌】深夜にススキノまで街を歩きました

スタートは午前2時半

 2017年9月30日深夜(日付が変わって10月1日になっていましたが)、仕事の研修会のあとの懇親会の、さらにそのあとの二次会が終わり、時計を見ると午前2時ごろになっていました。

 終電もないし、まだ外はそれほど寒くもなかったので、せっかくだから深夜の街歩きを決行しました。

 その時のツイートがこちら。

 スタート地点は地下鉄南北線澄川駅です。電車はすでに終電が終わっているので、タクシー(便乗)でここまで来ました。

 スタート時の時刻はおおよそ午前2時30分。始発は午前6時ごろなので、3時間半はあります。

 それほど寒くはないといっても、深夜で10月の札幌です。風の冷たさを長時間体に浴びていると、さすがに身に染みるものがあるので、途中で数か所コンビニに寄り道して暖まりながら目的地に向かいます。

澄川駅を出発!

 さてスタートして数分で最初の写真です。

2017.10.01

 札幌市交通局高速電車澄川受電所(の看板)です。

 外部から電気を受ける施設で、ここで受けた電気は、変電所で電車用に電圧や周波数を変え、電車へ送られて動力源となります。地下鉄沿線にはこうした受電・変電施設が何か所か見られます。

地下鉄が地下から地上へ出る場所

 次にたどり着いたのはこのスポット。

 札幌市営地下鉄南北線の、地下から地上へ出る部分のシェルターです。

 札幌で地上区間を走らせる場合、雪対策は絶対条件となるため、さまざまな方法が試されましたが、結局、線路の上に屋根をかぶせるのが最善であるとの結論に至り、現在ではすっかり札幌市営地下鉄地上区間おなじみの風景となった、シェルターが取り付けられました。

 また、この地下から地上へ上る区間があるため、札幌市営地下鉄は急勾配に強いゴムタイヤ方式となりました。

 札幌市営地下鉄は、1972年の冬季札幌オリンピックに間に合うよう、地下鉄を早急に建設しなければなりませんでした。そのため、平岸から真駒内の間を、1969年に廃止となった定山渓鉄道の跡地を使うことで、工期を短縮させました。

 この地上区間をたどることで、かつての定山渓鉄道の一部の区間の痕跡をたどることができます。

澄川駅も定山渓鉄道の駅の跡地だった

2017.10.01

 スタート地点の澄川駅も、かつての定山渓鉄道の跡地にあります。定山渓鉄道時代の澄川駅と、ほぼ同じ場所にあります。

 1933年の同駅開業当時は、鉄道開業時に土地を寄付した茨木與八郎にちなみ「北茨木駅」と呼ばれていました。

 1960年に澄川駅となり、札幌市営地下鉄になったあともこの駅名が用いられています。「澄川」という地名は、この地域を流れる精進川に由来しています。

交通局のマンホール?

 東豊線学園前駅で見つけた、札幌市交通局の旧シンボルマークがあしらわれたマンホールです。

 詳しいことは分かりませんが、地下鉄設備に関するものが埋まっているのではないかと思います。

午前4時、豊平川を通過

2017.10.01

 スタートから約1時間半、午前4時ごろの豊平川です。

 豊平川は札幌市と千歳市の境界付近を源とし、定山渓を通り、札幌市の中心部に至る、全長72.5kmの河川です。

 札幌市の中心部は、この豊平川の扇状地上に位置しています。

 川は札幌市中心部よりさらに北東方向へ流れ、札幌市東区と江別市の境界で石狩川と合流します。

 また、上流部には定山渓ダムや豊平峡ダムなど、札幌市民の水資源があり、豊平川はさまざまな面で、札幌で最も重要な川といえます。

 さて写真の時点でまだ夜は明けていません。豊平川を渡ると、ススキノはすぐそこです。

夜明け前にススキノにゴール

 豊平川を渡り、夜明け前にススキノ地区にゴールしました。

 さすがに1時間半も歩いたので小腹が空きました。

夜明け前からカレーです。

 カレーだけでは足りなかったので、別なお店でお寿司もいただきました。

 お寿司を食べた時点で午前5時。始発が走る午前6時までの約1時間は、近くのネットカフェで休憩することにしました。

 東の空も少し明るくなってきました。

 こうして、今回の深夜の街歩きは幕を閉じたのでした。

 今回のおおよそのルートです。

2017.10.01

投稿者プロフィール

たろう
元学習塾講師。
雑学と街歩きについての記事を、主に書いています。
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