2003年05月 北海道の東の端・納沙布岬から西へ進む北海道の東側の旅

北海道の最北端・宗谷岬から約800km走った翌日の朝、今度は北海道の最東端である納沙布岬に立っていました。


2003.05.01 撮影
納沙布岬は東経145度49分01秒・北緯43度23分07秒に位置しており北海道本土では最東端に位置する地点です。
前日は白糠町で一夜を明かし夜が明ける前に出発。3時間以上かけてやっとたどり着きました。思ったよりも距離があります。



地図で見ても片道約180kmほどあります。


2003.05.01 撮影
実は「納沙布岬」と書かれた碑はもう一つあり「本土最東端」とある記事の最初の写真のもの(1985年12月に根室市によって建てられました)とこちらの「返せ北方領土」とあるものがあります。


2003.05.01 撮影
北方領土返還の思いをこめて1980年に建てられた「四島のかけ橋(しまのかけはし)」の像です。4つのブロックを合わせてアーチ状にしたような形をしていますが、これは日本政府がロシアに不法占拠されているとしている北方四島を表わしています。またちょうど隠れてしまっていますが像の下には「祈りの火」という点火灯台があり、1972年に有人の島では日本最南端の沖縄県にある波照間島で採火したものを灯し続けています。


2003.05.01 撮影
納沙布岬にはこれらの他にもたくさんのモニュメントなどがありますが、その中でもあまり目立たない形でひっそりと立つこんな標柱もあります。「魯西亜船エカテリーナ號到来の地」とあります。ロシアから日本へ派遣されたラクスマンが大黒屋光太夫ロシアで漂流生活を送っていた大黒屋光太夫など42名を乗せ1792年に根室へやってきたことを示すものです。正確には現在の根室市街地に入港しておりここ納沙布岬にやってきたわけではありません。この時ロシアは大黒屋光太夫たちの日本への送還とともに鎖国状態にあった日本との通商を求めていましたが結局大黒屋光太夫たちを送還するのみとなってしまいました。



納沙布岬を離れ西へ車を走らせます。納沙布岬に着いたのが朝6時ごろなので一日の時間はたっぷりあります。

2003.05.01 撮影
納沙布岬付近は一面に湿地帯が広がっています。前日走った網走や野付半島付近もそうですが道東には湿地帯が多いような気がします。


2003.05.01 撮影
厚岸町(あっけしちょう)に到着しました。かかっている橋は1972年に完成した全長457mの厚岸大橋です。街を隔てる厚岸湖と厚岸湾の境界部分に位置しています。

橋がかけられる前ここにはフェリーが就航していましたが冬は氷に閉ざされ欠航することが多かったそうです。その問題を解消するため橋がかけられました。
天然の良港がある厚岸町は江戸時代初期の1623年に松前藩がアイヌと交易をするためにアッケシ場所を開いたことに始まる、道東地区としては非常に歴史のある町です。1900年7月1日に厚岸町として町村制が施行されました。今も水産業や酪農・林業の町としても栄えています。


2003.05.01 撮影
さらに移動し釧路市までやってきました。写真の橋は幣舞橋(ぬさまいばし)で釧路川にかかる全長124mの橋です。1889年に名古屋に本社のある愛北物産が建造した「愛北橋」に始まり1900年に初代幣舞橋が、その後も1909年、1915年、1928年と幾度も架け替えられ1976年に現在の橋になりました。橋の四隅にあるオベリスクは1928年に架けられたものの面影を残す形で造られました。また現在の橋が完成した翌年の1977年には、春夏秋冬を表わす4体の像「四季の像」が設置されました。また写真手前側に見切れているロータリーは国道38号の終点(起点は滝川市)でありまた国道44号(終点は根室市)の起点ともなっています。


2017.11.27 作成