ひとくち雑学

大晦日のことを、イタリアでは「聖シルベストロの夜」と呼んでいる。

沖縄みやげの定番菓子・ちんすこうが現在の形になるまで

 沖縄みやげ定番のお菓子「ちんすこう」。「珍しい菓子」や「高価な菓子」が、名前の由来として挙げられていますが、本当のところは分かっていません。

 いずれにしても「すこう」が「菓子」という意味だ、ということだけは間違いありません。漢字では「金楚餻(糕)」と書き「金色をした(金)、ほどけるような口当たりの(楚)焼菓子(糕)」を由来としています。

琉球王朝時代は王侯貴族だけの菓子だった

 ちんすこうが初めて登場したのは15世紀ごろです。

 モデルとなったのは、中国風の蒸しカステラ「チールンコウ」であるといわれています。つまり、琉球王朝の時代、ちんすこうは、現在のような焼いたお菓子ではなく、蒸したお菓子でした。

 琉球王朝の後期、料理座の包丁人たちが、冊封使(中国の皇帝が、属国の王が即位する時に派遣する使節)の食事をまかなうため、中国へ渡りました。

 その時、中国で習得した中国のお菓子と、薩摩藩の在番奉行の接遇のため、石原嘉右衛門や柳屋善太郎から学んだ日本のお菓子を、琉球独自のお菓子として作り上げたのが、ちんすこうの始まりではないかといわれています。

 本来は、琉球王朝の王族や貴族だけが、祝いごとなどの時に食べることのできる、高貴なお菓子でした。

ちんすこうを蒸し菓子から焼き菓子に変えた新垣淑康

 それまで蒸し菓子だったちんすこうを、現在の焼き菓子のスタイルに変えたのは、現在のスタイルのちんすこうで有名な、新垣(あらかき)菓子店の創業者・新垣家3代目の淑康です。

 初代の新垣淑規(尚灝・尚育・尚泰(17~19代)の3代の琉球王に、包丁役として仕えていた)と、二代目の新垣淑総から、廃藩置県後に琉球菓子の作り方を伝授された、三代目の新垣淑康は、1908年に沖縄初の菓子司として、新垣菓子店を興し、今日のレンガ釜で焼いたちんすこうを売り出しました。

 この焼き菓子のちんすこうは、船で琉球と日本本土を行き来する人たちのお土産として、重宝しました。

 しかし、このちんすこうは、菊を型どった丸い形をしており、さらにサイズが大きく、食べるとボロボロと崩れるという欠点がありました。

現在の形になったちんすこう

 丸くて大きな形をしたちんすこうを、現在よく知られている形にしたのが、新垣菓子店から分家独立して、那覇市の久米にお店をかまえた新垣淑扶です。

 彼は、米軍基地で使用されていた、クッキーの型抜きを再利用し、一口サイズの細長い形に改良しました。

 同時に、ちんすこうの大量生産(オートメーション化)も確立させました。

 さらに、半透明のビニールパッケージに小分けするという、衛生面を考えた、現在のスタイルも、彼が考え出しました。

 その後ちんすこうは、沖縄県の本土復帰(1972年)と、沖縄国際海洋博覧会(1975年)をきっかけとして、沖縄みやげの定番のお菓子となりました。

“新垣”の名前を継ぐちんすこうの店

 「ちんすこう」という名前に、登録商標の申請が認められなかったので、現在ではさまざまな菓子メーカーが、製造・販売しています。

 それでも「ちんすこうといえば新垣菓子店」のイメージが定着しています。

 新垣淑康がはじめた、焼き菓子としてのちんすこうを、今でも“新垣”の名を継いで営んでお店は、以下の3つです。

  • 琉球菓子元祖本家新垣菓子店

 新垣淑康の三男筋が開いた

  • 有限会社新垣菓子店(新垣ちんすこう本舗)

 新垣淑康の六男・淑扶が、分家して開いた

  • 新垣カミ菓子店

 分家独立の半ばにして他界した、新垣淑康の七男・淑正の妻・カミが、戦後に開業した

投稿者プロフィール

たろう
元学習塾講師。
雑学と街歩きについての記事を、主に書いています。
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 ちなみに「アマローネ」は、陰干ししたブドウからつくられる、イタリア・ヴェネト州の辛口赤ワインです。

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