みなとみらいを船で離れ、山下公園へ向かいました。
まず最初に、氷川丸を訪れました。今回は氷川丸の話です。
氷川丸のかんたんな歴史
氷川丸は、1930年、横浜船渠株式会社(現在の三菱重工業株式会社横浜製作所)で建造された、日本郵船の貨客船です。主に、北太平洋航路で利用されていました。
船の名前は、埼玉県大宮市にある、氷川神社にあやかって名付けられました。
全長163.3m、総トン数11,622トンあります。処女航海は、1930年5月13日~27日、神戸からアメリカのシアトルに向けての航路でした。
その後、ロンドン軍縮会議の批准書を輸送したり、嘉納治五郎が船内で死去したり、チャップリンが乗船したりするなど、数々の歴史を刻んできました。
太平洋戦争中は、軍用船として利用されましたが、大きな被害を受けることなく終戦を迎えることができました。戦後はふたたび、北太平洋航路に復帰しています。
1960年、氷川丸は客船としての役目を終えました。現在の場所には1961年より係留されています。
氷川丸は、数多く就航していた戦前の日本の貨客船として、今でも残る唯一のものです。
船そのものはもちろん、内部のインテリアも含め、貴重な歴史的史料であるとして、2003年に横浜市の有形文化財に、2007年に経済産業省の近代化産業遺産に、2016年8月には国の重要文化財に指定されました。
氷川丸の中を探検します
機関室
最初に、船の動力部分である機関室を見てみましょう。
エンジンテレグラフです。船のエンジンの加減速や停止をブリッジ(操舵室)から機関室へ伝えるものです。
もう少し近づいてみると…
東京計器製造所とJISマークの表示が読み取れます。
東京計器製造所(現・東京計器株式会社)という社名が使われた期間が、1948(昭和23)年12月21日以降で、かつ、このJISマークが1949(昭和24)年7月1日施行の工業標準化法で制定されたものであることから、戦後に取り付けられたものであることがわかります。
この時撮影した機関室内は、エンジンテレグラフと、この写真の2枚だけでした。
操舵室
ブリッジ(操舵室)です。船といえばこの操舵輪!というイメージですが、現代の大型客船ではすっかり見かけなくなりました。
特別船室
特別船室です。この部屋には秩父宮殿下ご夫妻やチャップリンなど数多くの著名人が乗船しました。
1960年の最終航海当時の乗船料は1000ドルでした。
社交室・喫煙室
一等社交室、そして…
一等喫煙室です。一等船客は乗船中このような豪華な設備の中で快適に過ごすことができました。
氷川丸が造られた当時の船内インテリアは、英国様式を採用することが多かったのですが、氷川丸は当時最先端の流行だったアールデコ様式が採用された客船として、大変話題となったそうです。
2002.10.30
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