2002年10月 鉄道だけではない!旧万世橋交通博物館の魅力

 東京駅周辺から神田方面へ移動。訪れたのは、今はなき万世橋の交通博物館。1936年4月25日に開館した万世橋の交通博物館は2006年5月14日に閉館し、一部の収蔵品は翌2007年10月14日に埼玉県さいたま市大宮区に移転オープンした鉄道博物館に引き継がれました。


2002.10.31 撮影
 0系新幹線とD51の先頭部分は長らく同博物館の目印として愛されていました。



 ちなみに交通博物館はここにありました。

 現在はマーチエキュート神田万世橋がここで営業しています。


2002.10.31 撮影
 左の9850形蒸気機関車はドイツのヘンシェル・ウント・ゾーン社で製造され1912年に日本へ来たもので、1924年に廃車となったものです。日本で現存する唯一のマレー式機関車として大変貴重なものです。また右のC57SLは1937年から1947年まで全部で201両製造されたものの一つで「貴婦人」の愛称で親しまれています。


2002.10.31 撮影
 1号機関車(1909年に鉄道国有法に基づき150形という称号に定められる)は1871年にイギリスのバルカン・ファウンドリー社で製造され、日本で初めて鉄道が開業する際の1872年に輸入されました。国の重要文化財に指定されています。初めて開業した新橋-横浜間を含む京浜地区で使われた後は東海道線神戸地区などで使用され、1911年の島原鉄道開業の際に譲渡されました。1930年に日本初の貴重な機関車として保存されることになるまで、実に60年近く現役として使用されていました。


2002.10.31 撮影
 7100形機関車はアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグのH.K.ポーター社で1880年から1889年にかけて合計8両製造されたうちの1両で、北海道初の鉄道路線となる官営幌内鉄道(1889年に北海道炭礦鉄道へ譲渡)などで使用されていました。この形式の機関車のうち最初の6両は番号順に「義経」「辨慶(弁慶)」「比羅夫」「光圀」「信廣」「しづか(静)」という名称がつけられており、交通博物館に展示されていた写真の機関車は「辨慶」と呼ばれていました(度重なる改装・名称変更等で実際には違う車両の可能性もある)。現在この形式の車両は交通博物館の「辨慶」の他に「義経」「しづか」が保存されており、「義経」は京都の梅小路蒸気機関車館に、「しづか」は小樽の小樽市総合博物館にそれぞれ保存されています。
 機関車の後ろにチラッと見える黄色の客車はアメリカのハーラン・アンド・ホリングスワース社で製造された「開拓使号」で、1880年に開業した官営幌内鉄道で開拓使役人などの政府高官専用の特別客車として利用されていました。1881年8月30日には明治天皇のお召し列車としても使用されました。

 上記の車両すべては(0系新幹線とD51SLの先頭部分も含め)現在さいたま市の鉄道博物館に保存されています。



 万世橋にあった交通博物館は「交通」の名のとおり、鉄道以外にも自動車・船舶・航空機・自転車やなんと駕籠にいたるまで、さまざまな乗り物関係の展示物がありました。


2002.10.31 撮影
 1930年12月20日に愛知県の岡崎と多治見の間で運行を開始した省営乗合自動車1号車(省=鉄道省)・国鉄バス第1号車で、現存する日本最古の国産バスです。 現在は愛知県名古屋市のリニア・鉄道館に展示されています。


2002.10.31 撮影
 アメリカのフランクリン社が製造したフランクリン1930年型乗用車で空冷式エンジンが特徴的です。閉館後、愛知県長久手市にあるトヨタ博物館へ寄贈されました。車両の下部を見られるようにするため、車両の床の部分が鏡になっていました。

 他にもさまざまな展示があり、また建物自体も魅力的な部分が多くあったのですが、当時所有していたSDカードの容量や、旅の途中でデータを別媒体へ移動する手段を持っておらず、全工程での撮影可能枚数にかなりの限度があったため、たくさんの写真を残すことができずに残念です。


2017.10.27 作成

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投稿者: たろう

京大進学を目指す学習塾教室長・40代独身。お嫁さん随時募集中。