ひとくち雑学

「かいわれ大根」という品種の大根はない。一般的には「大阪四十日大根」の芽が使われることが多い。

[06] 万世橋・旧交通博物館の鉄道だけではない貴重な展示品たち

 東京駅丸の内口から神田方面へ移動します。

 このとき訪れたのは、今はなき万世橋の交通博物館でした。

万世橋の交通博物館はここにありました

 万世橋にあった交通博物館は、1936年4月25日に開館し、70年後の2006年5月14日に閉館しました。

 博物館にあった一部の収蔵品は、閉館の翌年、2007年10月14日に埼玉県さいたま市大宮区に移転オープンした、鉄道博物館に引き継がれました。

2002.10.31

 入口にあった0系新幹線とD51の先頭部分は、長らく同博物館の目印として愛されていました。

 ちなみに交通博物館はここにありました。

 現在はマーチエキュート神田万世橋がここで営業しています。

万世橋の交通博物館にあった鉄道車両たち

マレー式蒸気機関車9850形と“貴婦人”C57蒸気機関車

2002.10.31

 写真左の9850形蒸気機関車は、ドイツのヘンシェル・ウント・ゾーン社で製造されたものです。1912年に日本へ来て、1924年に廃車となりました。日本で現存する、唯一のマレー式機関車として、大変貴重なものです。

 また、写真右のC57蒸気機関車は、1937年から1947年まで、全部で201両製造されたものの一つで「貴婦人」の愛称で親しまれています。

日本初の蒸気機関車は60年近くも現役だった

2002.10.31

 1号機関車は、1871年にイギリスのバルカン・ファウンドリー社で製造され、日本で初めて鉄道が開業するのに合わせ、1872年に輸入されました。1909年に定められた鉄道国有法に基づき、150形という名前に変えられました。

 日本初の鉄道路線、新橋-横浜間を含む京浜地区を走った後、東海道線神戸地区などで使用され、1911年の島原鉄道開業の際に譲渡されました。

 1930年、日本初の貴重な機関車として保存されることになるまで、実に60年近く現役として使用されていました。現在では国の重要文化財に指定されてます。

北海道を走ったアメリカ製7100形蒸気機関車

2002.10.31

 7100形蒸気機関車は、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグのH.K.ポーター社で、1880年から1889年にかけて合計8両製造されました。写真はそのうちの1両です。

 この機関車は、北海道初の鉄道路線である、官営幌内鉄道(1889年、北海道炭礦鉄道へ譲渡)などで使用されていました。

 この形式の機関車のうち、最初の6両は、番号順に「義経」「辨慶(弁慶)」「比羅夫」「光圀」「信廣」「しづか(静)」という名称が付けられました。万世橋の交通博物館に展示されていた、写真の機関車は「辨慶」と呼ばれていたものです。ただし、度重なる改装や名前の変更などで、実際には違う車両が辨慶号だった可能性もあります。

 現在この形式の車両は、交通博物館の「辨慶」のほかに「義経」「しづか」が保存されています。「辨慶」は現在、さいたま市の鉄道博物館に、「義経」は京都市の梅小路蒸気機関車館に、「しづか」は小樽市の小樽市総合博物館に、それぞれ保存されています。

 また、機関車のうしろに黄色の客車がチラッと見えますが、これは、アメリカのハーラン・アンド・ホリングスワース社で製造された「開拓使号」です。

 1880年に開業した官営幌内鉄道で、開拓使の役人などの政府高官専用の特別客車として使われていました。1881年8月30日には、明治天皇のお召し列車としても活躍しました。

 ここまでの車両すべては、最初の写真の、0系新幹線とD51SLの先頭部分も含め、現在さいたま市の鉄道博物館で保存されています。

鉄道以外の展示も充実していました

 万世橋にあった交通博物館は、その名前が「交通」だったとおり、鉄道のほかにも、自動車・船舶・航空機・自転車や、なんと駕籠(かご)にいたるまで、さまざまな乗り物関係の展示物がありました。

現存する日本最古の国産バス

2002.10.31

 1930年12月20日、愛知県の岡崎-多治見間で運行を開始した、省営乗合自動車1号車(省=鉄道省)・国鉄バス第1号車です。

 これは、現存する日本最古の国産バスです。現在は、愛知県名古屋市にある、リニア・鉄道館に展示されています。

下の構造を見ることもできた1930年製のアメリカ車

2002.10.31

 アメリカのフランクリン社が製造した、フランクリン1930年型乗用車です。空冷式エンジンが特徴的です。車両の下部が見られるように、車両の床の部分が鏡になっていました。

 この乗用車は、万世橋の交通博物館が閉館したのち、愛知県長久手市にあるトヨタ博物館へ寄贈されました。


 このほかにも、もちろんさまざまな展示がありました。

 また、建物自体も魅力的な部分が多くあり、たくさんの写真を残したかったのですが、撮影することができませんでした。

 当時持っていたSDカードの容量があまりなかったことと、その少ない容量のデータを、旅の途中、大容量のハードディスクなどに移す手段がかなったからです。

 旅行中に撮影することのできる枚数に制限があり、たくさんの写真を残すことができず、残念に思っています。

2002.10.31

投稿者プロフィール

たろう
元学習塾講師。
雑学と街歩きについての記事を、主に書いています。
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